文学の世界へ遊覧散歩

諏訪大社の御柱祭を代表とする諏訪の人々には恵まれた大自然の中で高い信仰心と伝統を守っていく探求心がありそこから高度な文化と高度な文学が生まれています。その郷土出身の文学者、作家に触れてみることにしましょう。

① 新田次郎
八ヶ岳の雷鳥は絶滅したとする学説であるが雷鳥は必ずいると信じ冬の八ヶ岳へ探しに行きついに発見。夢中でカメラに収めるが折しも雪崩が発生、その白い爪痕には一本の切断された赤いザイルだけが・・・。の秀作「まぼろしの雷鳥」をはじめ直木賞を受賞した「強力伝」さらに「縦走路」など八ヶ岳を舞台にした作品が数多く残されて八ヶ岳の愛好者にはたまらない文学作品の数々です。生まれ故郷である角間新田に近い諏訪市岡村の正願寺に眠っています。

新田次郎の秀作 「まぼろしの雷鳥」 昭和44年 講談社発行

新田次郎の菩提寺 正願寺

② 平林たい子
諏訪の中洲出身で林芙美子らと婦人作家グループを結成しプロレタリアに傾注します。代表作の「秘密」は知的障害児を持つ家庭問題とそれに伴う社会問題を提起しています。家族はこの子のためにいろいろと方策を立てるが結局為すすべもなく最後には江の島の海岸へ・・・。の女流文学賞作品をはじめ「黒い年齢」・「結婚行路」など傑作の数々がずらり。たい子の作品には生と死の文字がところどころに見え隠れします。出身地の中洲にある記念館の碑に残されている「私は生きる」という強い意志の言葉は作品の中から分かるように生涯たい子が好んだ言葉でありたい子の一生を貫いています。

平林たい子 女流文学賞の「秘密」 昭和43年 中央公論社発行

平林たい子記念館

たい子の記念碑「私は生きる」

③ 島木赤彦
諏訪の生んだ偉大な教育者であり、歌人です。正岡子規から「野菊の墓」の作者伊藤佐千夫に継承された短歌革新の事業は赤彦を中心に「アララギ」によって近代文学を導きました。執筆活動をした家は下諏訪高木にあり、庭先に柿の木があることから柿蔭山房と名付けられ今も多くの赤彦フアンが訪れています。

諏訪湖を一望する柿蔭山房

赤彦柿蔭山房の案内板

赤彦柿蔭山房の正面玄関

④ その他著名人に諏訪市では赤彦全集、漱石の「こころ」をそして岩波文庫を刊行した岩波茂雄、他に土田耕平、藤森成吉。茅野市では篠原志都児。下諏訪町では今井邦子、久保田不二子などのメンバーが名を連ねています。

⑤ 郷土出身者以外では諏訪、富士見地方の大自然を舞台に活躍した斎藤茂吉、長塚節、堀辰雄、与謝野晶子、竹久夢二、田宮虎彦等そうそうたる文学者がいます。
このような文学界を代表するすばらしい文豪・文壇のいにしえに思いを馳せながら文学散歩をしてみませんか。