随分と春めいてきたので、以前歩いた鎌倉道を今回は諏訪大社上社前宮から本宮方向に歩きます。
鎌倉道を歩いてみた②

まずは前宮本殿を超えた先を右折して山沿いの道を歩きます。

前宮水眼広場 
杉の木立の間の小道をしばらく歩くと「峯の湛」(みねのたたえ)と呼ばれる桜の大木が現れます。樹齢約200年と言われるこのイヌザクラの木は古くはミシャグジ信仰において、神が降りてくる湛木(たたえぎ)として扱われてきました。二股に分かれた根元には祠もあり、信仰の対象であることがうかがえます。街中からそう遠くまで来ていないのに、とても静寂で厳かな気持ちになります。

少し下ったところに苔むした東屋があり、その下に前宮公園があります。公園の周囲には桜の木が植えてあるので、もう少し気候が良くなってから歩いたら楽しそうです。眼下に見える宮川沿いの桜並木もきれいに見えるに違いありません。


階段にも苔 
前宮公園
そこからは高部の集落の中を案内板に従ってしばらく歩きます。「この道で本当に大丈夫かしら」と不安になる頃に不思議な建物が見えてきます。

高過庵 
空飛ぶ泥船
地元出身の建築家である藤森照信氏の作品群を間近に見ることができます。全て基本的には茶室だそうです。右の写真は「空飛ぶ泥船」という作品。ハンモックのように吊られているので風が吹くと揺れていました。(敷地内は私有地なのでご注意を)どうやってあそこまで登るのかなとあたりを見回すと、近くに梯子が置いてありました。普段内部は非公開ですが、ちの観光まちづくり推進機構が運営している「ちの旅」ではこんなツアーもあります。
「奇想天外な建築を堪能する『フジモリ茶室』プレミアムガイド」
藤森照信氏の建築についてはビレッジニュース№178の「蓼科からぶらり」のコーナーでも取り上げています。
川沿いを遡っていくと右手に墓地のあるあたりで何かが道の上にいます。「何だ?」と思ったらサルでした!何匹かいたので少し焦りました。(慌てていたので写真は撮れませんでした!)
さらに登ったところに「上社の杜(もり)歴史の散歩道」の案内板があったので、今度はそれを頼りに進みます。しばらく畑の中の道を歩き、景色が開けたところが武居畑遺跡です。縄文から中世にかけての遺跡で、西側の尾根には諏訪氏の重要な城であった武居城址があります。
2025/12/6付のスタッフブログの一番下の写真の場所です。


畑の中の道から見た八ヶ岳
眺望が良く、展望台やベンチが設置されているので、ここで小休止します。ベンチに腰掛けて「昔友達と土器の欠片や矢尻を探しに来たことがあったなー」と物思いにふけっていると、なにやら周囲の木の陰からガサガサと音がします。「またサルかな…」と思いつつ、万一のことを考えて、そろりそろりと展望台を後にします。(後から知りましたが、過去に熊の目撃情報があったようです。)

ここからはつづら折れの急な下り坂、さすが城跡!敵を寄せ付けない造りになっています。現在は歩きやすいように階段や手摺が付いています。守屋山への登山口の看板を横目に下りていきます。

展望台からの景色 
遠くに諏訪湖が見えます 
そして再び上り坂に。墓地の脇の小道を通り過ぎ神宮寺跡へ。明治時代に発せられた神仏分離令により全国で多くの寺院が廃仏毀釈の憂き目にあいましたが、神宮寺もその一つ。現在は一部がマレットゴルフ場になっていますが、かつては五重塔も備える立派な寺院が建っていたそうです。私の幼少期はマレットゴルフ場などという洒落たものはなく、神苑と呼ばれ子供たちの遊び場になっていました。シーソーやブランコのようなちょっとした遊具もあった気がします。四本の杉の大木が壁のように立っています。かつては五本ありましたが、落雷で焼けてしまったのだとか。根元には心字池があります。五重塔はこの辺りにあったようです。

五本杉ならぬ四本杉 
かつての神宮寺の配置図 
マレットゴルフ場を横断して下っていくと、墨縄神社があります。立派な寺社があるということは宮大工や建築職人が多くいたことが窺えます。そういった人々の神様でしょうか。さらに下ると法華寺があります。法華寺については以前にビレッジニュース№175でも取り上げています。

墨縄神社 
法華寺 
その下には蚕玉神社があります。地元では「こだまさま」と呼ばれて親しまれています。かつて養蚕の盛んだった諏訪地方には欠かせない神様です。
ここまで来れば上社本宮は目の前。二の鳥居ときざはしが見えてきます。無事を感謝し、お参りして帰ってきました。

蚕玉神社 
上社本宮到着





















