2026.07.19修那羅山
修那羅山の石神仏群
道路・街道・小路・山道などを歩くといたる所に石仏・地蔵・石神・石塔などが目に付きます。普段なにげなく歩いていても別に気にしなかったものでもいざ関心を持ってみるとそれぞれ一つひとつに意味があり当時の人々の念じた切実な願い・感謝・信仰などが込められていることが分かります。姨捨山に集中している二十三夜塔の願い事を月に縋る石塔・多くの村の入り口で目に付く道祖神は悪霊の侵入を防ぎ子供たちの守り神としての石神・丸子に現存する巴御前の勇壮な戦いと功績を称えた五輪塔・小学校の校門にある二宮金次郎・千曲市にある若者の力を競う象徴の力石の塔などもその一つなのでしょう。
さらに石神仏が千数百体もが集合しているという石神仏群の修那羅山(しょならさん)に興味を持ち行ってみました。
先ず出掛ける前に何はさておき地元ビレッジの山の神である雷立神社の祠と水の神を祀っている水神様の石神へ日頃の感謝を込めてのお参りをしてから出かけることにしました。
修那羅山への道案内
白樺湖より上田を経由して松本方面への青木峠を目指します。峠の上りに差しかかるところの長野自動車道麻績インターへの標識を目印に右折して修那羅峠へと向かいます。まもなく目に付く修那羅山安宮神社への南参道駐車場から修験者も歩いたという山道を1時間ほど進みます。また歩きが苦手の方はさらに麻績インター方面へ車で直進して表参道修那羅山安宮神社・石神仏群への案内看板が見えたら左折し狭い山道を車で20分ほど走らせ途中ダムを右に見てつづら折りの道の先にある駐車場へ向かいます。その表参道の駐車場から思索の森というまさに仏様や神様の霊が存在するかのような深山幽谷の薄暗い参道を進と奥に石神仏群を祀っている歴史ある霊山の修那羅山安宮神社に辿り着きます。
修那羅山安宮神社
この神社には開祖修那羅大天武が祀られています。近世末から近代初頭にかけて長野県内を中心に強い影響力を及ぼした宗教指導者です。幼い時から宗教的思考が強く全国各地を回り精力的な宗教活動を展開したその拠点はここの修那羅山だったのです。大天武の宗教活動のなかで信仰や呪術において石で形に表し偶像崇拝することによって人々の心に強烈な印象を与えそこから信仰の対象物として石神仏像が造形化されていったとされています。
大天武はこの地で神苑を拓き社殿を創建しました。その教えに賛同した人々がそれぞれの信仰心を持った石神・祠・石仏・木造神仏・絵馬を奉納安置することにより心の拠り所として明治35年に修那羅山安宮神社と命名し以後も日増しに信仰者が増え今では1228体もが奉納安置されています。
石造像
石の造形物にはいろいろな種類があります。例えば仏像・神像・観音像・記念碑・祠・筆塚など様々な物がありますがこれらを一般的にただただ一様に石塔や石仏とよんでいます。だがその一つひとつは目的によってすべて異なっていることが分かります。それぞれの目的によってどんな想いを込めてどんな願いをしてどんな気持ちで石造物を造り奉納安置したのか、またこの修那羅山行をどうして想い立ったのだろうかと思うと修那羅山は信仰や宗教を超えた心の拠り所の聖地だったのではないかと思われます。この石神仏群をみて石造者や奉納者の気持ちとその心にどこまで寄り添えるかじっくり拝みながら見学をしてみようと思います。
石造物の対象の偶像化はいわゆる仏様・神様から始まって家の門柱・家庭における縁起の置物や飾り物など個人の趣味まで幅は広いのです。
それでも共通していえることはその一つひとつに造った人それぞれの魂や心が込められているということです。人の心は流動的で風化され易いものであるため人のその時その時点の気持ちや心を永久的に固定化し保存するために石に具象化しているのではと思われます。
ですから石神仏を造り奉納し安置した人それぞれの気持ちや願いが石造物に託されていると思うと尊いものがあります。そうした心の籠った石造物である石神仏が今日までにこの修那羅山の安宮神社に千二百体を超えているのです。当時修那羅山の断崖の山道を重い石仏や石神を何日もかけて祈願の成就を目指して一心不乱に持ち上げ担ぎ上げて行ったその気持ちを思うと並大抵のことでは出来ないものだと思い考え深いものがあります。
石仏・石神の絵図
この修那羅山安宮神社の石神・石仏像の特徴は何といっても種類と数の多さでそれには圧倒されます。また不思議なことにその奉納者の名前はほとんど不明ということなのです。それは人それぞれの願い事ゆえ敢えて名乗る必要もないのかも知れません。その奉納者の意図するものは家族の安泰・世の中の安寧から始まって個人それぞれの苦悩やその境遇からの脱出や願い事に対する切実な祈願とその結果の大願成就の感謝などそれぞれ奉納者の気持ちや心の支えとしてこの上ない大切なものなのです。その奉納者の人々の人生に想いを馳せそれらの気持ちを想いながら修那羅山のさまざまな願い事が託されている石神仏を絵図に沿って拝観しました。
石神・石仏の表情
このように石造物にはどんな石神仏にもそれぞれの魂や心が込められていることが分かります。ですから願い事によって一つひとつの仕草や顔の表情も違います。ここには修那羅山の石神・石仏の数だけそれぞれの表情があるのです。
ではそのほんの一部を紹介してみましょう。
路傍のお地蔵さん
修那羅山の石神仏の見学以後、道端に何げなく置かれている石造物を目にすると今までの見方とは違ってきました。
その道端に安置されているお地蔵さんを見ているとふと夏川草介の小説「勿忘草の咲く町で・安曇野診療記」(角川文庫)を思いだします。終末期の高齢患者に対する家族の延命を願う気持ちとまた道端のお地蔵さんへの願い事を縋る人々の気持ちとがそれぞれ同じに重なり合うように感じられるのです。
信州安曇野の病院で若い医師と看護師が高齢者の老人医療に携わる二人。終末期医療の延命治療か看取りか尊厳の現場で緊張した日が続く毎日。それでも心が癒されるのは病院から見る北アルプスを背景に広大な松林が広がる裾野の大自然豊かな安曇野の雄大な風景美とこの大自然の中で四季折々に咲く美しい花々に巡り合えることでした。そしてこの大自然の中でいつしか二人は花を通してお互いを意識し始める。生と死に向き合う重苦しい現実の医療現場の中でも唯一さわやかな恋愛模様を織り交ぜての印象的なそんな物語。
医療現場に戻ると人間の命の在り方は花のように自然に咲いて自然に枯れていくのと同じように厳しい現実が待っている。患者ひとり一人の命とその家族の葛藤に真摯に向き合う医療スタッフ。また今まで家族のために歩んできてくれた患者の人生に感謝しながら寄り添い看護している家族の切実の願いである「一日でも長く生きてほしい、一日でも長く生きてもらいたい」。そんな心境や命への願いとこの物語「勿忘草の咲く町で・安曇野診療記」でのメインテーマである終末期の医療現場で人の生命の尊さと延命への望みとを併せて叶えてくれるかのように道端で穏やかに佇んでいるこのお地蔵さんの姿を見ると思わず手を合わせます。
この路傍のお地蔵さんは人々の命の尊さの願い事を受け入れ悠久に人々の心の支えと心の拠り所にしてくれているように思います。
そう思うと改めてもう一度手を合わせずにはいられません。
最後に「修那羅山詣」と「勿忘草の咲く町で」の物語を通して人の生とは人の死とは・・・「何か」と考えさせられるのでした。