源氏物語を読む

今年の1月7日からNHK大河ドラマ「光る君へ」が始まりました。今まで戦国時代ものが多かったのですが今回は平安時代ものでこれを機会に平安文学の源氏物語を読むことにしました。

光る君への作者は大石静で主人公紫式部「まひろ」を吉高由里子、「藤原道長」を後の左大臣として政権の頂点に立つ役に柄本佑が演じています。源氏物語は光源氏が主人公ですが光る君へは紫式部(まひろ)を主人公としています。「源氏物語」では光源氏が女性たちと恋愛を通して最後には恵まれた境遇へ導きますが「光る君へ」では紫式部(まひろ)が道長と恋愛を通して時の最高権力者へと導いていくように思えます。そんなところを光る君へのドラマと比較しながら源氏物語を読でみたいと思います。

源氏物語とは
源氏物語は平安時代4百年のうち中期に当たる時代に紫式部によって書かれた長編小説で現在まで1千年も読み継がれている不滅の国民文学なのです。平安貴族社会における独特のストーリーで左大臣や右大臣をはじめそれぞれの階級(摂政・大臣・公卿)等における政治・出世・権力・そして帝への世継ぎ争いのなかにいかにも女性らしい表現・感性・意識がまた男性の立場から書かれているところにも魅力を感じられます。主人公の光源氏は生まれながらの和歌・漢詩文の表現に才能があり皇子としての素質も素晴らしくまた内面的に強さもあるがちょっぴり弱さも備え恋心をくすぐる魅力あるそんな彼を取り巻く姫君たちとの恋愛姿のなかに出会いと別れと出家そして死別の生涯を写し出した人間模様の物語だと思われます。

貴族社会と紫式部
光源氏の誕生から生涯の出来事に日本の四季を通して宮中の儀式・慣習・生活様式・恋文の和歌のやり取りを取り入れた中に平安時代の一端を垣間見ることができるのも私たちに当時の貴族社会への想像をかきたてます。紫式部は女性らしく美しい四季を通した風情とそれに伴う草木の花に興味を示しそのなかでも紫色の花が特に好んでいたように思われます。というのは桐壺の上・藤壺の上・葵の上・若紫(後の紫の上)・夕顔・朝顔・藤袴そして何より紫式部自身にも紫を引用しているのです。それは唯一帝の后にしか着ることが許されない紫色の御召し物の小袿姿に憧れていたのではないかと想像されます。作者も貴族社会のなかの女性のひとりなので「願わくは」と思っていたのでしょうね。

平安時代の言葉
物語のなかで紛らわしいのは同一人物においてその時々によって名前の呼び方がいくつもあるということです。例えば光源氏は(皇子・若宮・源氏の君・光る君・六条院)藤壺の女御は(先帝の四の宮・后の宮の姫君・藤壺中宮・輝く日の宮)などです。それと源氏を取りまく人物相関図や姻戚系図も複雑なのです。平安時代の言葉や言い回しも独特な古語のため戸惑う面もありますが解らなくともいちいち気にすることはなく自分なりに読み続けていくと何となく文章が繋がって意味も分かるような感じがしてきます。古語といえども所詮日本語だと思えば気が楽になります。物語は源氏が歳をとるにつれてストーリーも進んでいくのでその点では分かり易いと思われます。また解釈は自己流で間違っている箇所もあると思われますがそこはご容赦願います。では古典ロマン最高傑作の平安貴族社会の世界に入っていきたいと思います。

桐壺
「いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらいたまひける中に、いとやむごとなき際にあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」(どの帝の御代の時であったか、女御(皇族や大臣家の娘)更衣(大納言家以下の娘)がたくさんお仕えしていた中に、たいした位の家柄ではない方で、特別帝に可愛がられていた方がおられた。)という書き出し文から4百字詰め原稿用紙だと約2千5百枚分の長編小説が始まります。やがて彼女は帝の后(桐壺の上)になり皇子(光源氏)が生まれます。しかし周囲からの嫉妬や嫌がらせ誹謗中傷に耐えきれず更衣出身の桐壺の上(源氏の母)は源氏3才の時に亡くなってしまいます。その後帝は妻に若い藤壺を后(先帝の第4皇女)に迎えます。源氏は亡き母(桐壺の上)に面影も気立ても似ている藤壺の宮を慕うのです。藤壺の宮もこれに応えるのでした。人びとはこの二人を「光る君」「輝く日の宮」と呼ぶようになります。やがて源氏が12才になり元服(成人式)になるのを待っていち早く左大臣は自家の将来を賭けて娘(葵の上)と結婚させるのですが4歳の年上に加え教養も気品も高く高貴な姿勢の姫君に馴染まず私邸の二条院に籠りがちになってしまうのです。そのため源氏はますます気持ちのなかでは帝の后藤壺の上に惹かれていくようになるのです。

箒木・空蝉・夕顔
五月雨の夜源氏(17才)が宿直(とのい)をしているところへ同じ年ごろの同僚たちが集まり四方山話をしているうちにそれぞれ自分の憧れの女性の話に花を咲かせます。これがいわゆる「雨夜の品定め」です。そんな話を聞かせられた源氏は妻の葵の上と馴染んでいないこともあってある女性に目が止まります。紀伊守の妻に憧れを持つようになりますが彼女は紀伊守の妻であるゆえ身の程のことを思い源氏と再度逢うことを拒んでしまいます。そこで紀伊守の妻を箒木(遠くでははっきりと見えるがいざ近くへ行くと分からなくなる)の草木に例えて「貴女の気持ちを知らないで近づこうとしたのですが箒木のように分からなくなり園原の路に迷ってしまいましたよ」と歌を詠んでいます。この箒木の帖(巻)において源氏物語のなかで唯一信濃の国が登場します。それは信濃の下伊那地方の園原の伏屋の森にある草木でいわゆる掃除に使う(ほうき)の木を紹介しています。当時国の等級が4階級あり信濃の国は上から2番目に位置し重要な国の一つでした。後に紀伊守の妻は転勤の夫と共に地方へ下ることになりお別れの形見に上着を源氏に差し出します。源氏はこの上着をセミの抜け殻と指し彼女を空蝉(うつせみ)に例え尽きることのない悲しみともの思いにふけるのです。ここに紫式部の女性らしい表現がみられます。空蝉は夫の亡き後、多くの下心ある男性に悩まされた挙句、尼さんになって出家してしまいます。
空蝉への悲しみの気持ちを引きずりながら五条に住む源氏の乳母への病気見舞いにでかけることにしました。道中垣根にみごとな夕顔の花が咲いている女性の家を見つけます。源氏はその女性をこの垣根の夕顔に連想してお目にかかりたいと申し出てお会いになります。だがその年の秋夕顔は突然物の怪に襲われ(左大臣家の頭中将との娘の玉鬘)を残して息絶えてしまうのですが源氏もまた悲しみのあまり病に倒れてしまいます。そんな源氏の内面の優しさや弱い面もあったのです。

若紫
18才の春、源氏は病気になり北山の聖のもとへ療養に行きます。そこである少女に出会います。その少女は源氏が思慕する藤壺の宮に似ていることに気づくのです。それもそのはず藤壺の宮の姪(若紫・後の紫の上)なのです。その若紫にお付き合いを望むのですが周囲の尼さんたちからあまりにも若すぎる幼い童女のため断わられるのです。やがて帰京する源氏は藤壺の宮に似た若紫を忘れられず帝の妻藤壺の宮を訪れ、こともあろうに逢瀬をもち懐妊してしまうのです。(この部分は現代文学志賀直哉の暗夜行路の主人公時任謙作の出生にまつわる人間関係に似ています。)懐妊を知った源氏は藤壺へお見舞いに行くのですが身の程を知る藤壺は会うことを固くなに断るのです。そんなこととは知らない父・桐壺帝は身重になった藤壺の宮へますます愛情を注ぐのです。途方に暮れた源氏は北山の幼い若紫を自分の私邸二条院へ同じ幼い年ごろの童女たちの仲間と一緒に遊ばせようと連れてくるのでした。

紅葉の賀
桐壷帝は祭りに身重の藤壺の宮にも息子源氏(19才)が踊る青海波という舞を見せようと連れ出します。しかし藤壺の宮は源氏の舞を心穏やかにまともに見ることはできなかったのです。一方二条院で無邪気に遊ぶ幼い童女の若紫を源氏の妻葵の上は幼い童女を嫉妬するのです。そうこうしているうちに藤壺の宮は皇子を出産します。桐壺帝は大変な喜びようで何も知らない帝はその男児を息子の源氏に抱かせるのですが当の源氏と藤壺の宮は全身が凍り付く思いで複雑極まりない心境あった。そんなことで源氏は子供の顔を見たいのですが二度と桐壺の帝へは行くことはできなかったのです。


賀茂神社の祭りでは源氏(23才)がその葵祭の行列に加わるということで妻の葵の上は牛車で見物に出かけます。この時葵の上は結婚して10年目にして源氏の子を宿しました。一方愛人の六条御息所(故前皇太子の未亡人で高貴な女性)も人目源氏を見ようと網代車で出かけます。ところが一条大路で鉢合わせになってしまいます。当然葵の上の車の方が格上で権力もあるため六条御息所(愛人)の車を押しのけてしまうのです。源氏はこの顛末を知り六条御息所(みやすんどころ)に同情をするのですが六条御息所の気は収まりません。収まらないどころか嫉妬が大きすぎ怨念となって葵の上に物の怪となって取り付いてしまうのです。やがて葵の上は男児(夕霧)を出産しますが物の怪が原因で亡くなってしまいます。源氏は後でこの物の怪は六条御息所の生霊だと知り愕然とするのです。ようやく葵の上との心が打ち解け始め妻としての優しさに気が付いてきただけに源氏は深い悲しみに暮れ亡骸を丁重に葬り四十九日間しめやかな喪に服します。六条御息所(京の町の六条の休息所の家に住んでいる愛人のこと)はそんな源氏の愛情に見切りをつけて娘の斎宮(伊勢神宮に奉仕する皇女)と共に伊勢に下ってしまいます。その後桐壺院は病気で亡くなり取り残された藤壺の上は後ろ盾がなくなってしまい、また源氏の恋情も避けるため出家してしまうのです。葵の上が亡くなった後は成人してからのあの紫の上(若紫・二条院の君)が妻となります。

須磨・明石
元桐壺帝の父が病気で亡くなり朱雀帝(桐壺帝と弘徽殿大后との皇子)の世になり源氏は官界に身の置き場がなくなってしまったのです。恋する藤壺の女御は出家し六条御息所は伊勢へ下ってしまい妻葵の上と恋を寄せた女性夕顔も亡くなり一人寂しく落ち込んでしまいます。そこで26才の源氏は父帝の御陵に参拝して京を去り須磨へ退去します。しかし須磨では暴風雨などの厳しい天候異変の気象のうえに怪しい夢に脅かされ気弱になっている源氏は明石の入道(出家し仏門の道に入った明石の君の父)の勧めにより明石に移ることにするのです。そこには入道の娘(明石の君)を一緒にさせたいとの思いがあったのです。源氏と明石の君は一緒に琴と琵琶を奏でさらに教養も高く品位もある明石の君を気に入るのです。そんな折、京では右大臣が亡くなり朱雀帝が退位の意向もあり次代の帝(冷泉帝)の後見として28才の源氏を召喚することになり帰京することになったのです。

澪標(みおつくし)
帰京した翌年世の中は朱雀帝から冷泉帝(藤壺との皇子)になり源氏(29才)は内大臣となり権力をもち始め一族は華やくのです。逆境に耐えた源氏一族の女性たちのためにも二条院の東院造営にとりかかります。やがて明石の君には女児が生まれ、源氏は后になる宿命を持って生まれた姫君だと喜び将来をかけて大事に育てるのです。その後成人した明石の姫君は朱雀院の皇子東宮の今上帝へ入内となりまた母(明石の君)とも一緒に住まわせるのです。源氏のこの志に明石の入道は感謝し思いが叶ったのです。女性のなかにはいかに素晴らしい源氏といえども女性には目がないなどとの世間の話もあり朝顔の君のように固くなに拒む女性もいたが婚約者(朱雀帝)がいても源氏に惹かれてしまう朧月夜の君もいた。そこで源氏は過去の女性たちに深く反省をするのです。いつぞやの六条御息所には不如意のままに終わった恋を詫びるため(亡くなってしまった六条御息所の娘の斎宮)に十分な後見を誓い冷泉帝に入内(秋好中宮)させるのです。また疎遠になった末摘花にも終生庇護を約束し廃屋同然だった邸宅は新築になり生気を取り戻します。出家した藤壺の尼さんには准太上天皇の女院につけるなど過去に恋憧れた女性たちに恋の償をして幸せにするのです。そんな源氏の澪標(身を尽くす)の気持ちが現れた帖(巻)でした。

玉鬘・初音
源氏34才、息子夕霧は元服を迎えます。また美貌と教養のある故夕顔の姫君である玉鬘(20才)は六条院(源氏)に迎えられ花散里(源氏の妻のひとり)のもとで生活をします。源氏36才の正月年賀の訪問に先ず妻たちの紫の上、花散里、明石の君、気になる女性たちの末摘花、空蝉、明石の姫君、玉鬘、などへと忙しい。ここでまた源氏は夕顔に似ている娘の玉鬘に心が奪われそうなところをしっかり者の妻の紫の上に見透かされてしまいます。やがて玉鬘は源氏や内大臣に次いで声望のある鬢黒の大将と結婚してしまいます。

藤裏葉
源氏39才の春息子の夕霧は内大臣の姫君雲居雁と結婚することになり二人はお似合いの夫婦なります。光源氏は准太上天皇となり子供3人のうち藤壺の皇子は冷泉帝・明石の娘の姫君は今上帝の后・葵の上の夕霧は太政大臣になり源氏は栄華を極める一家となるのです。源氏自身も紫の上と花散里・明石の君と共に穏やかな日々を過ごすのでした。源氏の生涯で若気の至りもあり多くの女性とお付き合いしたが最後はその女性たちに償い幸せをもたらすという作者紫式部の優しい思いを見逃すわけにはいきません。

若菜上・柏木
ところが源氏物語も藤裏葉の帖(巻)でハッピーエンドかと思いきやそうはいかないのです。源氏40才、もうここで女性関係は止めておけばよかったのですがまた元朱雀帝の第三皇女(女三の宮)とも結婚をするのです。ところがこの女三の宮が問題を引き起こして源氏を悩ますのです。それはかつて源氏が父・桐壺帝の后である藤壺の上と通じて皇子(冷泉帝)を授かったのと同じことが起きるのです。つまり女三の宮が柏木(太政大臣の息子)と通じて息子薫を生むのです。源氏自らが犯した罪の報いがこの歳(48才)になって身の上に降りかかってくるのです。結果女三の宮は責任を感じて出家してしまい、一方柏木も自らの過ちを悔いて病に倒れやがて亡くなってしまうのです。そこで源氏が薫を育てる羽目になるのです。


このように何人もの女性に囲まれるということは現代では考えられないのですがこれはその時代の婚姻形態や社会形態だったのですからそこは割り切って考えたほうがいいのでしょう。源氏51才の時最愛の紫の上が亡くなります。翌年の52才の年の瀬、紫の上の悲しみに源氏は「もの思ふと 過ぐる月日も知らぬ間に 年もわが世もけふや尽きぬる」(もの思いをしていて、過ぎてゆく月日を知らずにいる間に、この一年もわが人生も今日で尽きてしまうのか)と述懐し紫の上に先立たれ悲傷に暮れそのまま静かに来世(死)の道を開いていくことになるのです。

以上列挙してあるのはほんの一部の帖(巻)ですがさらに源氏が亡くなった後もまだまだ宮中の間では薫・匂宮・浮舟・女二の宮・六の君・中の君などと恋愛や結婚に絡んだ人間関係が出てくるのです。それはこの後の宇治10帖と合わせて全54帖をもう一度主人公「光源氏」の立場になって読み返すことにより作者紫式部の偉大さと源氏物語の奥深さに魅了され、いわゆる平安王朝における源氏物語の人間模様が古典ロマン最高傑作といわれる所以だと思われました。(高)