八ヶ岳の語源

八ヶ岳の山容
八ヶ岳は南北20kmの火山列を形成している山群で中間の夏沢峠を境に北八ヶ岳と南八ヶ岳に分かれ山容は大きく異なります。この違いは八ヶ岳を形成した火山の性質によります。北八ッは深い原生林に覆われ、円頂丘が連なるなだらかな山容は粘性の強い溶岩のため丸みを帯びた山になりました。一方南八ッは赤岳を中心とする荒々しい山稜に幾つもの寄生火山の噴火により爆裂火口が生じその山体の崩壊がさらに侵食されて急峻な山容となりました。そして四季の織り成すこのうえない絶景美が繰り出される八ヶ岳を背景にビレッジが立地するこの蓼科高原は山や高原の愛好家にとってかけがえのない山麓なのです。

八ヶ岳の名称の由来
ところで八ヶ岳という名前の起こりはどこからきたのでしょうか。その一つには八ヶ岳の「八」という数字が八つ裂き・八つ当たり・八方塞がりの多数を意味するように多くの峰があることから八ヶ岳と呼ばれているのかもしれません。
いわゆる八ヶ岳での八つの峰を特に挙げれば編笠山・西岳・権現岳・阿弥陀岳・赤岳・横岳・硫黄岳・天狗岳を一般に指していますが、八ヶ岳には実際に名前が付いている大小の峰々を数えると40もあるというところからも納得します。

また一方では、だるまさんの七転び八起きという諺があります。でも実際は七回転べば七回起きるはずですよね。この七起きからさらに八起きとしたのには何か理由がありそうです。つまり「八」という数字には末広がりで良いことがありますようにご利益がありますようにとの願いや期待を込めた八で縁起を担ぎあえて七起きを含めた八起きにしているようです。そこで八ヶ岳は祈願祈祷の山岳信仰の山であり偶像崇拝の神々しい霊峰でもある所以に縁起を担ぐ意味での「八」を用いて八ヶ岳とも呼ばれているのかもしれません。
いずれにしても私たちの八ヶ岳は三千メートル級の日本でも有数な名だたる名峰を抱く山稜なのです。

数字が付く山
山々の数字にまつわる名前は八ヶ岳のみならず他にも数多くみられます。数字と山の名前の由来にはそれぞれ何らかの意味が含まれていると思われます。高山の名峰に限らず身近にある低山や里山の名前を調べて登るのも山登りの楽しみの一つです。例えば五里ヶ峰(千曲市)は長野市の善光寺から丁度五里(20km)の距離にある所から命名されています。この山の中には新幹線と高速道路のトンネル10kmがあり首都圏からの大動脈になっています。また九十九山(上田市)は山の峰がのこぎりの刃のようにたくさんの峰がある所から名前が付けられています。ここの地域は日本でも有数の少雨地帯のため多くの溜池を作って干ばつに対応しています。そのため九十九山の続きの夫神岳では雨を呼び写真のように稲が豊作になるように毎年7月に雨乞い祭り「岳の幟」が500年間も続いて行われ日本遺産にもなっている地域です。このように山の名前にはそれぞれ意味があるのですね。

ではちなみに一から十までの数字が付いている山の名と百・千・万の付く山の名前を挙げてみましょう。
一ノ字山(軽井沢)・二児山(大鹿村)・三ッ岳(八ヶ岳)・四阿山(菅平)・五里ヶ峰(千曲市)・六百山(上高地)・七面山(南アルプス)・八十三山(山ノ内町)・九十九山(上田市)・十観山(青木村)など長野県内だけでも数え切れません。さらに百貫山(黒部)・千頭星山(南アルプス)・万座山(志賀高原)・・・などなど数字の山は次々と続きます。

数字にまつわる言葉
さらに数字にまつわるものには山の名前だけではありません言葉にもあるのです。一・・・「どうか一つよろしくお願いいたします。」「私たちのために一つご意見をいただけないでしょうか」という表現に「一つ」という言葉があります。どうやらこの一つは数の一つではなく依頼やお願いを強調する場合に使用されるようです。
また「一風変わっている」と聞くことがあります。本来は他と異なって素晴らしく趣があるという言葉ですが、現代では少し違った意味で使われているように思われます。それにしても「一つの風」がこんな風に使われるとは・・・。

二・・・「この件に関して相手から二つ返事をもらいました」「依頼したら二つ返事が返ってきました」この「二つ」も返事を二回もらったということではなく快く快諾や承諾をしてもらったということです。
また「その件に関しては二の次です」という言葉があります。二番の次だから三番目にとりあげるということではなく後回しにする、あるいは問題外という意味もあるようです。

三・・・「三日坊主にならないように」これはよく聞く言葉です。すぐ飽きないように、途中で止めないように、長続きするようになどに使用されます。特に三日にはこだわりがなくここでは短いという意味があるようです。

四・・・「この問題は難しくて四苦八苦だ」という言葉は大変困っている、苦労しているなどを表現している様子が分かりますがその語源はどこからきているのでしょうか。
これは仏教界の言語で生病老死・愛別離・怨憎会・・・などなどの苦しみや煩悩からきているのです。

五・・・「Take five」この英語を直訳すれば「5を連れてきて」ですが実際の会話では登山などで疲れてきた時に「少し休みましょう」「しばらく休ませて」端的に言うと「お茶にしましょう」などと使われます。どうやらこのfiveという数字は時間の5分に匹敵するようですが、この場合「少し・しばらく」は5分間の休憩に限らずその場の状況に応じたある一定の時間帯を表します。

このように数字にまつわる言葉には本来の数字とは全く異なる内容が表現されて本来の意味は隠されている場合があります。それが日本語でも英語でも言語として常態化し慣用化され違和感なく通用されているところに表現の面白さがありまた、真意は難しいところでもあります。
あれれ・・・いつの間にか八ヶ岳の「八」という数字の本題から外れてしまったようですがどうか一つお許しを願います。