諏訪湖遊覧船

諏訪湖の遊覧船に家族で乗ってきました。

暑くて大変かなと思いましたが、風が涼しくて気持ちよかったです。

遊覧船乗り場

料金 時刻表

右側のスワコスターマイン号に乗りました

初島

1周25分

諏訪湖観光汽船ホームページはこちら

あきちぱーく。

 

今日は あきちぱーく にお邪魔してきました。

以前から気になっていましたが、なかなか足を運ぶ機会がありませんでした。

あきちぱーくは小さな子供や初級者向けの自転車コース、アスレチック、広場などある場所です。

中に入ってみると、1人重機に乗り黙々と作業する男性がいたので声を掛けてみました、なんと!あきちぱーくの創設者原田さんでした。業者さんかと思った、、、

原田さんは東北より茅野市に移住し仕事の合間にコツコツとこのあきちぱーくを作っているそうです。原田さんは作業中だったのにも関わらずあきちぱーくの説明、あきちぱーくのコンセプトや思い、今後のことなど沢山お話してくださいました。笑顔が本当に素敵で人を惹きつける魅力の持ち主でした。(話に夢中でご本人の写真を撮り忘れてしまいました、スミマセン😢)聞くところによると本職は夫婦そろってスキーチームのコーチとのこと、、、

まだまだ未完成エリアがありますが今年の夏には完成予定だそうです。

今日は利用者がいませんでしたので、去年のあきちぱーくの様子を載せておきます。
あきちぱーくでお話を聞いた後少し小腹が空いたので、あきちぱーくから車で5分の所にあるベーグルのお店パンセさんに寄って行きました。

本日は完売しましたの看板が、、、残念。

店内の様子はこんな感じです。(ベーグルのあるときの写真いただきました)

パンセ

次回はパンセさんでベーグルやお菓子を買って、あきちぱーくで遊び、あきちぱーくのデッキでベーグルをいただきたいと思います。

蓼科にお越しの際は是非足をお運びください。

あきちぱーく

https://akichipark.com/

パンセ

https://www.toco-suwa.com/detail/509/index.html

 

国道299号線と麦草峠

国道の看板
蓼科ビレッジの別荘地内を縦断している国道299号線と麦草峠の歴史について検索してみます。
国道299号線を走っていると道路沿いには様々な標識・観光案内板・広告宣伝板・名勝案内・記念碑・速度制限・標高表示などなどが目につきますがここでは国道299号線と麦草峠の標識と看板について的を絞って行きます。
まずは滝見平の「これより蓼科ビレッジ別荘地」の表示看板のところから出発します。その手前に「ようこそ蓼科中央高原へ 299 メルヘン街道」の案内板があります。また旧ビレッジ管理事務所前には国道299号と麦草峠の正式名の案内板が現れます。  ではどのようにしてこれらの名前がでてきたのでしょうか。
旧ビレッジ管理事務所の先に東屋のある見晴らし台があります。そこには大石峠開通記念碑が建立されています。この記念碑に国道299号線と麦草峠の経緯が記されています。

大石峠開通記念碑
大石峠は昭和41年10月26日に20.7kmを総工費3億8千万円という巨額での大工事で竣工されました。記念碑によると開通までは茅野佐久町線大石峠という名称で記されています。
この道路の開通によって中央線茅野駅と小海線八千穂駅間が南信と東信の最重要道路となりそれまでの県道から新たに国道299号線麦草峠として文化・経済・物流の交流と共に観光用道路の別名メルヘン街道としても全国的に注目されるようになりました。
このようにして国道299号線麦草峠・メルヘン街道は茅野佐久町線大石峠の名称を経ることになります。

旧大石峠
麦草峠になる前の名前は大石峠でさらに以前の峠は現在の位置より標高の高い茶臼山・縞枯山方面への中腹に旧大石峠としての歴史を感じる古びた道標が立っている所です。この旧大石峠は江戸時代以前から茅野諏訪と佐久方面への無くてはならない重要な街道でした。街道といっても当時は馬と徒歩での人が往来できる位の道幅だったのです。この峠は麦草火山地帯を横断し火山岩の大石群が露岩しているところから大石峠と呼ばれたのでしょう。時代が経つにつれて通行し易い現在地点に新しい大石峠が移設され県道から現在の国道299号線の麦草峠となりました。

ガイドアラカルト
千曲川の源流の一つとしてこの旧大石峠付近から湧き出て流れ出る沢を大石川と呼び千曲川へ注ぎ日本一長い信濃川(367km)に合流して日本海まで続くのです。この旧大石峠の原生林の中を直登すると茶臼山・縞枯山の火口痕跡が残る円頂丘の頂に到達します。ここでは日本でも珍しいシラビソの縞枯れ現象が見られます。南方面には南八ヶ岳の荒々しい峰々が現れ眼下には火山特有の溶岩台地が雄大に裾野を広げビレッジエリアの蓼科高原も一望できる絶景のポイントでもあります。一方分岐点を左に折れるコースはオトギリ草の平原を進みコケモモの庭を通って駒鳥の池へ行かれるのも良いし出逢いの辻を右に折れピラタス坪庭方面へ行かれるのも良いでしょう。初夏には新緑の森と山を賛美、青空にはのんびりと浮かぶ白い綿雲。そんな光景の中での散策は日常の慌ただしさと忙しさが嘘のよう。

佐久からの登山者
そのトレッキングの途中、佐久方面からの賑やかな登山者の一行に行き会いました。会話のなかで新臼田小学校の話に触れ4月11日の開校日について話をしてくれました。11日の11というのは両開きの観音開き戸の2本の取っ手になぞらえてその扉の取っ手を左右に開くことによって新小学校の歴史が開くと同時に児童たちの未来への夢と希望も開かれるという願いが込められた縁起の良いいわゆるお正月の行事の一つである「蔵開き」や「鏡開き」を意味する日の11日であるとのこと。そこで統合した新小学校の歴史が始まる記念すべき開校日を良き開運に託し併せた新年度最初の4月の11日に定めたとのこと。
なるほど・・・それだけ地域の人たちは思慮が深くそのうえ新小学校と児童たちへの未来に思いを寄せていることがよく分かりました。

さらにこの地域出身の新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」(登場人物宮水三葉の声優は上白石萌音)三葉が舞をしたゆかりの舞台であの五稜郭近くにある「新海三社神社」へも行かれるといいですよと薦めてくれました。そこで、こちらからも「君の名は。」の聖地の一つ新田次郎生誕の地で、あの糸守湖のモデルになった夕日が沈む諏訪湖を一望できる絶景スポット「立石公園」へも行かれるといいですよと紹介しました。そしてお互いの再会を誓って有意義な出会いの場を後にしました。

麦草峠
さて麦草峠は大石峠・旧大石峠などの名称や位置を変えて今日に至っているのです。この植物の麦草とはイネ科オオムギ属でこの峠一帯に叢生しているところから麦草峠の名称が由来されたのでしょう。また麦草峠は国道としては志賀高原の渋峠とともに山岳地帯の高い所(2,127m)を横断していることになります。この峠は富士山や日本アルプス以外の山々の最高峰に匹敵する亜高山帯ですからいかに高い標高に位置しているかが分かります。

今日の蓼科高原は国道299号線麦草峠・メルヘン街道(茅野佐久町線大石峠)の開通に携わった方々。ビレッジエリアの開発に先駆けた先見の明ある創設者の方。その後代々の先導されている見識者の方々。環境向上に尽力されている山荘の皆様方。全ての方々の並み並みならぬ努力によって日本でも有数の名だたる高原観光地としてリゾート地としての現在があるのです。

信州の鎌倉 別所温泉

蓼科ビレッジニュースで上田城のお話が載っていたので便乗です。
上田市にある別所温泉の紹介です。                      別所温泉は塩田平の西側に位置し信州の鎌倉、真田家の隠し湯と言われています。

上田駅から別所温泉までは電車が通っております。                        上田交通別所線

別所線にのろう! – 上田市ホームページ (city.ueda.nagano.jp)

古い電車が展示してありました。

 

 

別所温泉のオススメ観光情報[公式] (bessho-onsen.com)

古くは「七久里の湯」と呼ばれた別所温泉は、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめ、信州最古ともいわれる温泉です。
その後、北条氏が別院として使っていたことから「別所」という名前がついたといわれています。
肌がなめらかになる「美人の湯」として知られ、温泉街には、旅館の内湯のほかに3つの外湯があります。

外湯の紹介です。                                        外湯は200円で、シャワーはなくて蛇口です。                 シャンプー、石鹸がないので持参した方がいいです。

【真田幸村隠しの湯  石湯】

大河小説「真田太平記」に別所の湯がしばしば登場します。
物語の中で重要な位置を占める向井佐平次が真田幸村と初めて逢うのも、その幸村が女忍者お江(こう)と結ばれるのも別所の岩の間から湧きだす温泉の白い湯気の中だった・・・                              石湯の前に建つ「真田幸村公隠しの湯」の票石は真田太平記の作者、池波正太郎氏の筆です。

湯舟に石が使われていて天井も高く雰囲気がとても良い温泉でした。

 

【慈覚大師ゆかりの湯  大師湯】

天長二年(825年、平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地に来錫の折、好んで入浴したので大師湯と名付けられました。
かつては北向山に参詣した籠の者が夜通し入れ替わり利用したので籠の湯ともいわれました。
昔、矢傷を負ったキジが湯あみして傷をいやしたので「雉子湯」と呼んだこともありました。
安楽寺開山樵谷、二代幼牛の両禅師の木像(重要文化財)が夜な夜な入浴されるので、尊貴を恐れた村人がついに木像の目玉を抜き取ったという話もこの大師湯にまつわる伝説です。

湯舟が深めで普通に座った状態で肩まで浸かれます。                石湯から近いですが源泉が違うようでお湯の感じが違いました。

【木曽義仲ゆかり葵の湯〜北条氏ゆかりの湯  大湯】

木曽義仲がはるか上洛の機をうかがっていた頃、愛妾葵の御前としばしば入浴していたので「葵の湯」とよばれていました。
その後、北条義政が浴室を建て、北条湯ともよばれていましたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」と改められました。

湯舟が広めで薄濁りのお湯で露天風呂もあり気持ちよく入れました。

 

 

【足湯 ななくり】                                   北向観音の駐車場から近い所に足湯があります。                            天下の奇祭といわれる岳の幟500年記念祭として平成16年に設置されました。
安楽寺の八角三重塔をモチーフとした総ヒノキ造り。
お湯の温度は季節による気温変動に対応できるようにしてあります。
地名の七久里と今の苦しみが離れる七苦離の意を兼ねて「足湯ななくり」と名付けられました

 

【日帰り温泉施設 別所温泉相染閣 あいそめの湯】

別所温泉 相染閣「あいそめの湯」 – 上田市ホームページ (city.ueda.nagano.jp)

別所温泉のお湯を気軽に楽しめる温泉施設です。                                           お湯は、神経痛、筋肉痛、五十肩などに効能のある、単純硫黄温泉です。                    露天風呂からは上田市街地を眺望でき岩盤浴もあります。

別所温泉はちょうどいい温度の温泉で癒されました              歴史ある温泉に浸かってのんびりしてみてはいかがでしょうか。

 

北向観音・常楽寺 (kitamuki-kannon.com)

北向観音は天台宗常楽寺が本坊で、その伽藍の一部として同寺が所有しています。
北向観音は善光寺と向かいあっていて、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで、地元では善光寺にお参りに行ったら北向観音にお参りに行かないと片参りと言われています。                     向き合っているので両方お参りに行くのが地元の人のセオリーになっています。   (今回は北向観音のみなので片参りです)

手水舎も温泉でした。

 

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別所温泉の観光案内 (bessho-spa.jp)                    周辺一帯は「塩田平」と呼ばれ、全国でも数少ない文化財の宝庫となっています。鎌倉時代から室町時代にかけて造られた神社仏閣をはじめ、石造りなどの中世の文化財が多数残されていることから、「信州の鎌倉」と呼び親しまれています。                          また映画のロケ地やアニメの聖地にもなっている観光スポットです。

 

別所温泉から近くの古民家カフェに行ってみました              別所温泉ら山の中に向かって行きます                    この道、このまま行って大丈夫ですか?と思うような道を行きますと野倉と言う集落にでます

茶房パニ saboupani(@saboupani) • Instagram写真と動画

茶房パニ – Google マップ

落ち着いた雰囲気の古民家カフェです。                            時間帯によっては予約しないと入れませんのでお問い合わせしてから行った方がいいです。                                         イチゴパフェセットで上田産にんじんジュースを注文いたしました。                                                      周囲は山に囲まれていて四季の移ろいを感じられる、ゆったりとした時間が流れている居心地の良いカフェでした。

 

上田市のご当地グルメの 馬肉うどんを食べに上田駅に行きました。         中村屋 – 上田/うどん | 食べログ (tabelog.com)

上田は馬肉を食べる地域で、うどんには馬肉をつかって出汁をとります。     火を通すと硬くなる馬肉ですが中村屋さんの馬肉は柔らかく馬肉のコクが出汁に深みを与え、甘めの味付けの出汁はすき焼きのような味の柔らかいうどんです。

 

上田市は日本有数の松茸の産地で秋には塩田平を中心に専門店の松茸小屋がオープンします 各旅館や松茸小屋で地物松茸を楽しむことができます。      添付は去年の特集記事ですが 時期になれば更新されると思います                            松茸の聖地 別所温泉 | 別所温泉旅館組合[公式] (bessho-onsen.com)

秋の味覚の王様・松茸を味わう【おすすめ店4選】 | 信州上田観光協会 (ueda-kanko.or.jp)

上田に訪れたら 参考にしてみてください。

 

佐久五稜郭

国道299号線が4月20日にようやく開通しました。早速麦草峠の白駒の池から八ヶ岳を横断して佐久平経由で千曲の我が家への通勤路とすることができるようになりました。途中で寄り道して今年3月31日に閉校した五稜郭を有する龍岡城内にある田口小学校へ地域の文化と教育の歴史を訪ねてみました。
少子化問題
少子化における問題は近年様々な社会現象を起こしています。中でも影響の大きい教育環境問題が子供たちに直結しています。その一つに学校の統合が全国的に見られます。今春佐久市臼田地区では臼田・田口・青沼・切原小学校の4校が統合して新臼田小学校に生まれ変わりました。今、国では「こどもまんなか社会」のこども大綱を作成中とのことですが早急にできるのを願うばかりです。

新臼田小学校
新臼田小学校の開校式4月11日の際に校歌「いつも希望はここにある」を作詞した松井五郎さん(安全地帯・V6などへの作詞)、作曲は森山良子さん(この広い野原いっぱい・涙そうそうの作曲)のお二人がサプライズ出席されました。その時の児童たちの驚きと喜びようは計り知れません。その歓喜の声と感謝の拍手はいつまでも鳴り止むことが無かったのです。子供たちにとって生涯忘れることのない素晴らしい思い出のひとつになることでしょう。
この校歌は佐久の豊かな自然をとらえ「ひらりそよぐ風」「さらさ流る川」「きらり跳ねる星」の歌詞が織り込まれ6百人の児童が松井さん・森山さんと一緒に希望いっぱいに胸を膨らませ星のように目を輝かせて合唱したのです。この4校の児童たちは閉校した母校の悲しみを乗り超え未来に向かって頑張るという希望を体いっぱいに表現して歌う姿に保護者をはじめこの地域の人々は児童たちから改めて希望と勇気をもらったに違いありません。

宇宙飛行士

この地域の出身の先輩、宇宙航空研究開発機構(JAXA)所属の油井亀美也さんが夢と希望を貫き毛利衛・若田光一・向井千秋さんらと日本でも数少ない宇宙飛行士の一人となり見事宇宙へと羽ばたいたのです。このようにこの地域ではあの雄大で偉大な八ヶ岳の峰々を背景に希望に強い信念と憧れを抱き希望という心の拠り所を求め続ける子供たちにとって大切なかけがえのない地域なのです。希望はたくさんの学びからやがて新しい未来を切り開く力に、そして次の一歩を踏み出す力になることでしょう。

臼田の巨大パラボラアンテナ

この臼田にはJAXAの日本最大の直径64メートルという深宇宙探査用大型アンテナ(パラボラアンテナ)があります。地球から遠く離れた深宇宙の惑星探査機の追跡に活躍し「はやぶさ」「かぐや」にも貢献しました。
ここのアンテナで多くの観測・探査・電波・信号の解析等のなかの研究の一つで宇宙から到達する様々な膨大な無数の電波や信号を定期的に地球へ問いかけてくる電波や信号に対して分析解析することによっていつかは宇宙語と会話ができるようにと可能性と希望をもっての研究も続けているとのことです。

龍岡城の五稜郭

では4つの統合したうちの一つ田口小学校があった龍岡城の五稜郭の歴史について迫ってみましょう。田野口藩主の大給恒が江戸時代の終わり1867年(慶応3年)に築城しました。五稜郭は日本には函館とこの龍岡城の二つしかありません。この城郭の星形をした五角形は外敵に対する攻防に優れた城郭でその石垣も場所によってそれぞれの石積み方法が工夫され異なっていることにも注目してみましょう。
大給恒はフランス語も堪能でこの五稜郭はフランスの城から参考にしているといわれています。そして明治政府においても活躍し現在の日本赤十字社の創設者としても有名です。また同世代のあの勝海舟とも交流が深かかったのです。同じく信州松代出身の佐久間象山の奥さんは勝海舟の妹なのです。このように信州の人々は日本の近代化に大いに貢献したのですが、せっかく造った龍岡城が明治になるといつまでも藩主体の日本ではいけないという新政府の廃藩置県政策からでしょうか取り壊されてしまうのです。

田口小学校

小学校・中学・高校の学校制度は1872年(明治5年)の学制交布により田口地区にも新しい次世代を担う子供たちを育てたいという地域の人々の強い希望や支援により田口小学校が誕生したのです。
その後小学校はお城が取り壊された五稜郭の中へと移転されることになり以後150年もの輝かしい歴史が今日まで続くことになったのです。
長い間鎖国をしていた日本が世界へと開国し近代化の日本へ進むなかで大給恒や佐久間象山らの功績によって世界と地域を結ぶ文化と教育をこの信州にもたらせたのです。そんな誇りある所の一つがここの学び舎、田口小学校なのです。
田口小学校閉校後、佐久市教育委員会は当時の龍岡城にできる限り近い状態に復元し誰にでも愛される地域の文化・教育・歴史のある城跡公園として整備していくとの計画です。このように日本に二つしかない佐久五稜郭へ文化や歴史の向学と見聞を兼ねて訪れてはいかがでしょうか。私たち自身が訪れることによってそれぞれ「さらに何か己の希望への一歩」に思いが強まると思われます。

新臼田小学校の校歌

いつも希望はここにある
作詞 松井五郎  作曲 森山良子

一、ひらりひらりそよぐ風が           二、ひとりひとり違う
さらさ流る(ながる)川が            選ぶ道の彼方
目覚めた朝新しいと               心ふれるあたたかさを
教えてくれる                  教えてくれる
空に空に伸ばす手で               白い白いそのページ
握りしめた夢の種                描いていく物語
いつも希望はここにある             いつも希望はここにある

三、きらり跳ねる星が
凛と咲いた花が
命はただただ美しいと
教えてくれる
いまをいまを生きている
胸の鼓動(おと)を抱きしめて
いつも希望はここにある
いつも希望はここにある

さくら 桜 サクラ

4月も中旬になり 蓼科もいよいよシーズン開幕です。
今年の八ヶ岳山麓は例年よりも早く桜の花の見ごろを迎えました。

ほんのひとときの桜 美しい花の儚さの象徴 我が国きっての美人女神
「さくら」の名の由来ともいわれる「木花咲(開)耶姫 -このはなさくやひめ-」は、山の神様でもあります。

今シーズンの山の安全をお祈りして参りました。

風に揺れる桜を眺めながら 美しい女神様がやさしく微笑んでくれている姿を想い浮かべてたりなんかしてみると、花見もさらに幸せな気分になるものです。

聖光寺入口の桜も咲きはじめました。境内はまだこれから楽しめそうです。

ちなみに、
聖光寺の道向かいにあるハム・ソーセージのお店「ザ・ババリアン・ペータータテシナ」さん。メディアでもしばしば紹介されるこの名店のベーコンやソーセージは、桜の木を使って桜の甘い香りでスモークされてるそうですよ。

お店では愉快なマスターが試食もさせてくれますので、桜見物にお越しの際はぜひお立ち寄りいただき、こちらの「桜」の香りも楽しんでみてください。

<余談>
馬肉の隠語「サクラ」
桜の季節は脂がのっておいしいから「サクラ」というのは本当なのでしょうか?
信州に来たら必ず馬刺しを食べるという方も多いですよね。

蓼科はまだ桜の季節です。遊びにお越しくださいませ。

春うららか

四月となりました。
春の陽気の心地良さを日々感じます。
・・・同時に花粉症の辛さも感じていますが。
今日はビレッジ内で春の訪れを探してみました。
先ずは

壇香梅(だんこうばい)が道脇から、単色の木々に控えめながら彩りを添えています。

次にビレッジ入口前の桜です。

蕾がだいぶほころび、花が顔を出すまでもう一歩です。

福寿草

春を告げる幸せの花 ❣

 ぽかぽか陽気に誘われて

    我が家にも春が。。。。。

福寿草の花言葉は幸せを招く・永久の幸福などです

輝く鮮やかな黄金色が美しいです

3月18日の朝はみぞれでした

 

池の平ホテルが新しくなります

白樺湖湖畔にある池の平ホテルが2023年4月22日にリニューアルオープンするそうです。

完成まであともう少し!

2年も前から改修工事をやっていたんですね。
恥ずかしながら最近知りました。

https://www.shirakabaresort.jp/ikenotaira-hotel/stay/new-wing/

新本館には白樺湖を眼下に見下ろす露天風呂もあり、日帰り入浴も可能のようです。